今昔舞踊劇団「東京幻堂」。
「今昔物語」や「宇治拾遺物語」や各地の民話を、語りと踊りと音楽でお届けします。
<劇団概要>
東京幻堂とは?
かつては生活の中で生まれ、生活と共にあり、生活の中で磨かれ、
生活を豊かにしてきた日本の伝統文化。
近頃では季節における風習や
儀式でのみ残り、日常生活からはかけ離れ、
その本質は徐々に忘れられつつあります。
東京幻堂は、
その事に危機感を覚えた
演出・脚本家でもある佐藤伸之(舞踊家名:花柳武政)
により結成された舞踊劇団です。
取り分け古典文学や伝統芸能を題材に、
老若男女、幅広い層のお客様に楽しんで頂きながら、
先祖から守り伝えられてきた日本文化の魅力を感じ、
その本質に共感し、
自分たちの大切な文化として認識して
いただける様に活動しております。
<作品作り>
古事記に始まり、今昔物語集や宇治拾遺物語、御伽草子、
さらに日本中に存在する伝承伝説の中に内包された深淵なテーマ、
深い文学性、幅広い芸術性、
そして日本独自のユーモアや道徳観、精神性を掘り起こし、
伝統芸能の表現手法をベースにしつつも、
現代に通じるテーマやエッセンス、
技法を取り入れた娯楽性の高い演出により、
共感性の高い「学びのエンターテイメント」
として作品を創造します。
<目的>
明治の頃、文明開化により西洋文化が流入し、
日本文化は「時代遅れの文化」
「野蛮な文化」として衰退の時代を迎えました。
しかし、当時の日本文化を支えてきた先人達は、
流入する西洋文化は上手に取り入れ、
伝統文化の継承と改革、発展に成功しました。
しかし第二次世界大戦以後の日本では、
驚異的な復興の大きな要素にもなった生活様式の合理化(欧米化)は、
明治期のそれよりも加速し、
やがて日本人の精神の成長する速度を超えて
大きな影を落としてゆきました。
精神的な幸福感よりも物質的な豊かさを優先するような風潮も
その一つだと言えます。
特に、人とのつながりは大きく変貌しました。
家族、兄弟、親類より「個」の存在が優先され、核家族化が進みました。
結果として世代間の交流が激減してゆき、
近年ではかなりの割合で断絶してしまったと言えるでしょう。
極東の小さな島の中で、
一千年を遥かに超える時間の中で紡がれ醸成され、
洗練されてきた日本の伝統文化は、
もはや現代日本人にとって異文化のように
なってしまいました。
さらに、近年の過剰なコンプライアンス主義は、
絶滅の危機に瀕している伝統文化を無味無臭化し、
もはや何を伝えたいのか分からない
物が多く見受けられます。
現状に大きな危機感を抱いた私達「東京幻堂」は、
古代〜中世日本人の豊かな創造力、
斬新な感性、研ぎ澄まされた美意識、
柔軟で柔和な人生哲学といった祖先の息吹をお客様へお伝えし、
本来、日本文化が持つ独創性やアイデンティティを再発見、
伝承してゆく事を劇団の目的としています。
<略歴>
2003年 オフィスパラノイア舞踊劇公演(勉強会)として発足。
同年 7月 演劇の街である下北沢の「劇」小劇場にて、
「今昔舞踊劇 怪」と 銘打ち第一回公演を行う。(2003〜2005)
2005年10月 山梨県甲斐善光寺公演開始(以後、2022年で18回目)
2007年11月 横浜市西区かもん山公演特設ステージにて、
横浜市西区主催「横浜港開港150周年プレイベント」に出演。
2008年 2月 横浜市西区公会堂にて横浜市西区主催
「横浜港開港150周年 イベント」に出演。
2008年 9月 下北沢を離れ、靖国神社境内の神池前にて特設能舞台を設営し、
「今昔舞踊劇 遊びの杜」として公演を行う。(2008〜2015)
以後、東京公演を「遊びの杜」、山梨公演を「怪」として上演。
2010年 3月 アメリカ合衆国 ニューメキシコ州サンタフェにて
SantaFeJIN Jpanese Cultural Festival 6
正式招聘 「Grand Samurai Performasce」と銘打ち、
殺陣と日本舞踊に よる30分ショーを創作披露。
※団体名である「パラノイア」という言葉が、アメリカでは 差別用語に当たるため、
新聞をはじめ各メディアでは、団体名 が使用できず、
「NOBUYUKI SATO WITH HIS GROUP(サトウ ノブユキと仲間たち)」
として紹介される。これを切掛けに、海外で 通用する団体名を検討。
2013年12月 オフィスパラノイアプロデュース舞踊劇団 「東京幻堂」発足。
2014年 4月 国際フォーラムAホールにて国際眼科学会Opening Actとして
天皇陛下(当時、皇太子)ご臨席のもと、3D展開する映像と
コラボした創作舞踊を披露。
2015年 9月 きゅりあん大ホールにて品川区主催品川区芸術祭において、
「交響曲しながわ物語」舞踊パート振付と出演を担当。
2016年 9月 靖国神社を離れ、すみだパークスタジオ倉にて東京公演を行う。
(2016〜2019年)
2020年 9月 すみだパークシアター倉のプレ柿落とし(試験公演)を担う。

